2ヶ月近く、ブログを書いていない。
どう考えても、これはよくない傾向である。
自分が自分であることがどうでもよくなっている証拠だと思う。
そういう葛藤を抱える力をなくしてしまうと、私は文章が書けなくなるのだ。
2009年11月26日木曜日
2009年10月5日月曜日
軽くなる方法
社会人になって、実はちょっとだけ、体重が減りました。
本当に誤差程度だからあまり言わないようにしているんだけれど。
なんとなく、痩せたら今より素敵な世界に行ける気がしている。
それは私が随分前から持っている幻想なのだけれど。まだその片鱗が頭にこびりついているような気がしてならない。
みんなそれぞれにこだわりはあるし、それから全く自由になることはもしかしたら難しいのかもしれない。
なんとなく、みんな折り合いをつけることを覚える。そしてそれが夢だと分かっていながら夢を見るようになる。
一昨日、髪をばっさり切ってしまった。
なんとなくその先に今とはちょっと違う自分がいるかもしれないなんて思ったから…というのはうそじゃない。髪型くらいで変わるのは自分の心境とシャンプーの量くらいだ。
それが大事ならそうすればいいし、それ以外で何か変化がほしいなら違うアプローチをしなくちゃ。
さて、今日も一日あっという間でした。
本当に誤差程度だからあまり言わないようにしているんだけれど。
なんとなく、痩せたら今より素敵な世界に行ける気がしている。
それは私が随分前から持っている幻想なのだけれど。まだその片鱗が頭にこびりついているような気がしてならない。
みんなそれぞれにこだわりはあるし、それから全く自由になることはもしかしたら難しいのかもしれない。
なんとなく、みんな折り合いをつけることを覚える。そしてそれが夢だと分かっていながら夢を見るようになる。
一昨日、髪をばっさり切ってしまった。
なんとなくその先に今とはちょっと違う自分がいるかもしれないなんて思ったから…というのはうそじゃない。髪型くらいで変わるのは自分の心境とシャンプーの量くらいだ。
それが大事ならそうすればいいし、それ以外で何か変化がほしいなら違うアプローチをしなくちゃ。
さて、今日も一日あっという間でした。
2009年9月7日月曜日
イタリア、ダマヌール
みんな、世界中で生きているうちに一度は行ってみたい場所はどこだろうか?
ということを一度は考えるだろう。
とある時期に私たちは、生きているうちに世界の全てを眺めることは無理なのだと気づく。
そのくらい世界は広く、私たちは恐らく世界の何億分の一の部分しか見ること、知ることをせずに死にゆくものなのだということに気づく。
だからこそ、生きているうちに行ってみたい場所のリストを充実させることを考える。
昨年から今年にかけ、私はこの雑誌に何度となく救ってもらった。
風の旅人
「時と命」の号の田口ランディさんの
「死のカード」
というエッセイがある。
あるイタリアのコミュニティから持ち帰られたタロットカードから、
ランディさんの前に出てきたのが
「死のカード」であったというお話。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ダマヌールというのはイタリアの北部にある、ユニークなコミュニティを指す。
宗教的、思想的な背景をもつ団体ではなく、一つの村に芸術、エコロジー、教育、精神、ヒーリング、オーガニック食品の生産等をテーマにした様々な施設が点在するヨーロッパ最大のコミュニティで、イタリア政府公認の下で運営されており、現在は600名ほどがそこで共同生活をしているという。
いわば、新しい社会モデルの実験地だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このエッセイを読んでから、私は生きているうちに、このイタリアのコミュニティにどうしても行ってみたいと思い始めた。
もうすぐイタリアへと旅立つ知人に、このコミュニティについて聞いてみてください、というメールを送ってみる。
イタリアと聞くと必ずこのコミュニティのことを思い出す私。
記憶の構造はたぶん、バカの一つ覚えだと思うのだけど、
でもきっと、そこには何かがある気がする。
この人生があるうちに、行ってみたい場所。
ということを一度は考えるだろう。
とある時期に私たちは、生きているうちに世界の全てを眺めることは無理なのだと気づく。
そのくらい世界は広く、私たちは恐らく世界の何億分の一の部分しか見ること、知ることをせずに死にゆくものなのだということに気づく。
だからこそ、生きているうちに行ってみたい場所のリストを充実させることを考える。
昨年から今年にかけ、私はこの雑誌に何度となく救ってもらった。
風の旅人
「時と命」の号の田口ランディさんの
「死のカード」
というエッセイがある。
あるイタリアのコミュニティから持ち帰られたタロットカードから、
ランディさんの前に出てきたのが
「死のカード」であったというお話。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ダマヌールというのはイタリアの北部にある、ユニークなコミュニティを指す。
宗教的、思想的な背景をもつ団体ではなく、一つの村に芸術、エコロジー、教育、精神、ヒーリング、オーガニック食品の生産等をテーマにした様々な施設が点在するヨーロッパ最大のコミュニティで、イタリア政府公認の下で運営されており、現在は600名ほどがそこで共同生活をしているという。
いわば、新しい社会モデルの実験地だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このエッセイを読んでから、私は生きているうちに、このイタリアのコミュニティにどうしても行ってみたいと思い始めた。
もうすぐイタリアへと旅立つ知人に、このコミュニティについて聞いてみてください、というメールを送ってみる。
イタリアと聞くと必ずこのコミュニティのことを思い出す私。
記憶の構造はたぶん、バカの一つ覚えだと思うのだけど、
でもきっと、そこには何かがある気がする。
この人生があるうちに、行ってみたい場所。
2009年9月6日日曜日
気持ちの整理。
いつもと違うところで寝ると、違う夢を見る。
私にとって我が家での睡眠は日常の中に組み込まれてしまっており、休日にも関わらず無駄に朝早く目覚めてしまう。
週末はある人の追っかけで(笑)関西に行ったのだけれど、転がり込ませてもらった家でびっくりするくらいゆっくり寝てしまった。
そしてびっくりするくらい、最近見ていなかった夢を見た。
もうどうでもいいと思ったことを、私の潜在意識はしつこく掘り出そうとしていて、多分普段の私なら、そんな自分自身を哀れんで泣いていたところだけど、今日は大丈夫だった。
自分を哀れむ自分の、もう一つ上に視点があって、大丈夫だよと抱きしめて上げたいと思っている自分がいた。
気持ちを整理するとはこの事なのかもしれない。
蓋をしてみたり、どこかに隠してみたりするんじゃなくて、本棚の、しまうべきところに本をおさめるような感じなのだと思う。
気持ちのいい夜。今日は月も美しい。
2009年7月7日火曜日
自分が何を考えているかを、明らかにするために。
今さら、改めて、ブログを書こうと思う。
私は9割がた読む側で、このブログも、公開する気はあまり無かった。
以前にオリジナルテンプレートまで作ってもらってはじめたブログも、
自分の投稿する内容がほとんどイベントの告知になってしまっていた。
自分自身が、そういうブログにはあまり興味が無いくせに。
私は自分の考えをまとめるのがすごく苦手で、できるならうやむやにしておきたいのだ。
でもそれだと、自分は何かを考えていて、それを自らうやむやにしているのか、
そもそも自分の思考自体がうやむやなのかがわからなくなってくる。
最近思ったのは、私はなんとなく前者だと思い込んでいたのだけれど、
どうやらそうではないらしい。
自分の思考というのは、既にそこにあるのではなく、
自分の言葉や表現によって「現れるもの」らしい。
話してみて、書いてみて、自分はそんなことを考えていたのだと気づく。
私は自分が何を考えているかを、できる範囲で明らかにしたいんだと思う。
だから、ブログを書きたい。
もちろん、「ブロガー」と呼ばれる人に憧れもあるし、自分の発信手段を持っている人を尊敬するのは事実。
でもそれを口にするのが恥ずかしいくらい、私はひよっこなのだ。
ひよっこはひよっこなりの表現を探す。
そこからしか始まらないし、始まらなければどこにも行けないんだ。
私は9割がた読む側で、このブログも、公開する気はあまり無かった。
以前にオリジナルテンプレートまで作ってもらってはじめたブログも、
自分の投稿する内容がほとんどイベントの告知になってしまっていた。
自分自身が、そういうブログにはあまり興味が無いくせに。
私は自分の考えをまとめるのがすごく苦手で、できるならうやむやにしておきたいのだ。
でもそれだと、自分は何かを考えていて、それを自らうやむやにしているのか、
そもそも自分の思考自体がうやむやなのかがわからなくなってくる。
最近思ったのは、私はなんとなく前者だと思い込んでいたのだけれど、
どうやらそうではないらしい。
自分の思考というのは、既にそこにあるのではなく、
自分の言葉や表現によって「現れるもの」らしい。
話してみて、書いてみて、自分はそんなことを考えていたのだと気づく。
私は自分が何を考えているかを、できる範囲で明らかにしたいんだと思う。
だから、ブログを書きたい。
もちろん、「ブロガー」と呼ばれる人に憧れもあるし、自分の発信手段を持っている人を尊敬するのは事実。
でもそれを口にするのが恥ずかしいくらい、私はひよっこなのだ。
ひよっこはひよっこなりの表現を探す。
そこからしか始まらないし、始まらなければどこにも行けないんだ。
2009年6月21日日曜日
自分の身に降り掛かる事の多くは、
自分の身に降り掛かる事の多くは、
環境、つまり自分の外にその原因を求める。
しかしそれが他人の(自分でない)場合は、その人の内面に原因があると考える。
どちらが正解という事はない。
なぜなら一つの事象が自身か環境かどちらかが原因となっておこっているなどという事はほとんどないからである。
人間は恐るべき自己防衛本能を持っていて、ちゃんと自分を、身体も精神も、護るようにできている。
それが正常に働かないのが、精神の不調というやつなんだと思う。
私もなんだかんだいって自分を護っているし。
私自身が思っているほど、私は自己犠牲的ではないし、自分がかわいくて仕方ないんだ。
…そんな自分は吐き気がするほど好きじゃないけど、でもそういうとこまで含めると、きっと自分が大好きなんだ。
2009年6月19日金曜日
『サガン』寂しさと対峙した人
『サガン』
http://www.sagan-movie.com/
実存の人物「フランソワーズ・サガン」の人生を描いた作品。
フランソワーズ・サガン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%82%AC%E3%83%B3
フランソワーズ・サガンという18歳でデビューし、
華々しくときに波瀾万丈な人生を送ったフランスの作家の生涯を描いた物語。
私は、なんだかじわじわ辛い映画だと感じました。
確かに彼女は天才で、
そういう意味では自分と重ね合わせるなんてできないし、
共感というものまでももたないのだけれど、
人間はなぜこんなに寂しいと感じながら生きていくのか、
と思いました。
誰もが基本的には独りなんだと思います。
でもやっぱりみんな独りでは生きていけない、
独りは辛いけれども、
でもその事実に縛られすぎるとそれに増して辛い気がします。
サガンはそんな辛さを一身に背負ってしまったように見えました。
http://
実存の人物「フランソワーズ・サガン」の人生を描いた作品。
フランソワーズ・サガン
http://
フランソワーズ・サガンという18歳でデビューし、
華々しくときに波瀾万丈な人生を送ったフランスの作家の生涯を描いた物語。
私は、なんだかじわじわ辛い映画だと感じました。
確かに彼女は天才で、
そういう意味では自分と重ね合わせるなんてできないし、
共感というものまでももたないのだけれど、
人間はなぜこんなに寂しいと感じながら生きていくのか、
と思いました。
誰もが基本的には独りなんだと思います。
でもやっぱりみんな独りでは生きていけない、
独りは辛いけれども、
でもその事実に縛られすぎるとそれに増して辛い気がします。
サガンはそんな辛さを一身に背負ってしまったように見えました。
2009年6月16日火曜日
私、社会人なんだ。
入社してから早くも2ヵ月半。
長かったような、短かったような、
でもオフィスでの生活もだいぶ慣れてきたし、
いろいろほかの事を考える余裕も出てきた気がします。
ふと、
「私、社会人なんだ」
と思う瞬間が最近何回かありました。
幸いにも私の配属された局は、
世間でいわれるような広告会社の雰囲気はそれほど強くなく、
平和な毎日を過ごしています。
自分のやりたいといってきた仕事ができるところに
まさかの初任配属を頂いて
(よくある話だし当然のことですが)
とはいえ、ここはゴールではなくスタートだったと気づき、
あんなにやりたいと言っていたのに
いざ、手も足も出ず、大事なところで失敗するし、
自分にうんざりする毎日が続いています。
でもトレーナー含め周りの人に恵まれて
毎日書く日誌に、丁寧に返してくださるメールを見ていて
嬉しくて泣きそうになっています。
いくら仕事の一部でも、自分の仕事ぶりの話とか、
精神的な部分とか、そういうところをちゃんと見ていてくれて
文字にしてくれる人と会ったのはきっと小学校ぶりで、
(小学校の頃の日記に返してくれる先生のコメントは、
いつも無難だなぁと思っていたけど)
きっとこれも社会人一年目の特権なのだと、
有難く噛み締めています。
さて。
今日もよい一日になりますように。
長かったような、短かったような、
でもオフィスでの生活もだいぶ慣れてきたし、
いろいろほかの事を考える余裕も出てきた気がします。
ふと、
「私、社会人なんだ」
と思う瞬間が最近何回かありました。
幸いにも私の配属された局は、
世間でいわれるような広告会社の雰囲気はそれほど強くなく、
平和な毎日を過ごしています。
自分のやりたいといってきた仕事ができるところに
まさかの初任配属を頂いて
(よくある話だし当然のことですが)
とはいえ、ここはゴールではなくスタートだったと気づき、
あんなにやりたいと言っていたのに
いざ、手も足も出ず、大事なところで失敗するし、
自分にうんざりする毎日が続いています。
でもトレーナー含め周りの人に恵まれて
毎日書く日誌に、丁寧に返してくださるメールを見ていて
嬉しくて泣きそうになっています。
いくら仕事の一部でも、自分の仕事ぶりの話とか、
精神的な部分とか、そういうところをちゃんと見ていてくれて
文字にしてくれる人と会ったのはきっと小学校ぶりで、
(小学校の頃の日記に返してくれる先生のコメントは、
いつも無難だなぁと思っていたけど)
きっとこれも社会人一年目の特権なのだと、
有難く噛み締めています。
さて。
今日もよい一日になりますように。
2009年6月6日土曜日
『愛を読むひと』
ベストセラー『朗読者』の映画化。
社会背景としては、1960年ごろのドイツ。(なぜかみんな英語を話していますが。)「アウシュビッツの看守に対する裁判」が出てきます。「正しさ」とは時代を通して変わっていくのだと、改めて思いました。時代には時代の正しさがあります。そしてその社会的な「正しさ」と別に、人にはその人の「正しさ」がある。
…まだこちらは読んでいないのですが。
この映画、ストーリーにも、設定にも、様々なメッセージが含まれている(…気がする)。
15歳のマイケルが、自分を道で助けてくれた年上の女性ハンナに恋をして(この辺りの設定から随分思い切った感じではあるのですが)彼女の家に通うようになる。
ここで授業中、マイケルがハンナのことを思い出すという回想シーンがあるのですが、これがすごいリアルというか、誰しもが体験することなんじゃないかな〜と。
ここの描写がすごい印象的でした。個人的に。
「中二病」なんていう表現も聞きますが、この時期って少しでも自分が周りと違うということに対してすごく優越感とか劣等感を感じる時期ですよね。15歳。
この感性の最も研ぎすまされてる時期に、年上の人と恋をする人ってすごく刺激的なんだと思う。やっぱりマイケルはハンナとのことを忘れられない、という描写があるんだけれど、映画を見ている最中はいやーとはいえ、そんなことは早々ないだろう、みんな思い出は更新していくものだし、と思っていました。そうじゃないとみんなつらいんじゃないかと。
よく母親が「人間は選択的に忘れるという能力を持っているから生きていける」と言っていました。「つらいことをいつまでも忘れられないと辛くて生きていけないよ」と。
だから辛いことも、幸せなことも、忘れるかどうかはきっとその人の(意識的か無意識的か)「選択」であって、人は多くの場合そのほうが楽だからという理由で「忘れる」ほうを選んでいる。
でもそうじゃない選択もあっていいのでは、と思いました。辛くても、先が見えなくても、社会的に難しくても、好きで忘れられないのならその気持ちを表現する方法を求めればいい。そんな姿を、この映画の中に見せてもらいました。
社会背景としては、1960年ごろのドイツ。(なぜかみんな英語を話していますが。)「アウシュビッツの看守に対する裁判」が出てきます。「正しさ」とは時代を通して変わっていくのだと、改めて思いました。時代には時代の正しさがあります。そしてその社会的な「正しさ」と別に、人にはその人の「正しさ」がある。
3月くらいにも、ユダヤ人虐殺をテーマにした映画を観ました。http://www.movies.co.jp/pyjamas/
最後が悲しすぎて、飛行機の機内で泣いてしまいました。
2009年6月3日水曜日
人を呪わば穴二つ
人を呪わば穴二つ
という言葉の、なんとなく意味はわかるけれど 何の穴なのか?
と思って 何気なく調べてみた
【人を呪わば穴二つ】
意味: 人を呪うにはそれなりの覚悟が必要だという事。
転じて、安易に他人を恨むことを戒める。
由来: 平安期、加持祈祷を生業とした陰陽師は、
人を呪殺しようとするとき、 呪い返しに遭うことを覚悟し、
墓穴を自分の分も含め二つ用意させたことに由来。
…なるほど。 これってこの由来がわからないと なんか
「人の陰口を言ってはいけません」 「人を恨んではいけません」みたいな
きれいな概念の言い換えになっちゃいますね
(って私がそう思うだけかもですが)
呪い返しに遭うことを覚悟して
人を呪い殺すことを職業とするなんて
私には想像を絶するけど でもそういうことが仕事になるくらい
人が人を恨むということが起こったんだ
人間って怖いなぁ
多分この世で一番怖いのは
幽霊でも地震でも原爆でも金融危機でもなく
人間であると思う
(もちろん私も含めて)
という言葉の、なんとなく意味はわかるけれど 何の穴なのか?
と思って 何気なく調べてみた
【人を呪わば穴二つ】
意味: 人を呪うにはそれなりの覚悟が必要だという事。
転じて、安易に他人を恨むことを戒める。
由来: 平安期、加持祈祷を生業とした陰陽師は、
人を呪殺しようとするとき、 呪い返しに遭うことを覚悟し、
墓穴を自分の分も含め二つ用意させたことに由来。
…なるほど。 これってこの由来がわからないと なんか
「人の陰口を言ってはいけません」 「人を恨んではいけません」みたいな
きれいな概念の言い換えになっちゃいますね
(って私がそう思うだけかもですが)
呪い返しに遭うことを覚悟して
人を呪い殺すことを職業とするなんて
私には想像を絶するけど でもそういうことが仕事になるくらい
人が人を恨むということが起こったんだ
人間って怖いなぁ
多分この世で一番怖いのは
幽霊でも地震でも原爆でも金融危機でもなく
人間であると思う
(もちろん私も含めて)
もやもやと暮らす
もやもやと暮らす。
自分はここに置かれ、何を期待されているのかと思う。
別に何の能力も持っていないことは相手はわかってる。
私は何も生み出していないし、何も生み出すことはできない。
それは、今も今までもそれほど変わらない。
どんなことも言うだけで行動には移さない。
いつも私は、スタートとゴールを取り違えていて、スタート地点に立って戸惑うのだ。
大学もそうだった。
あの場所はゴールじゃなかった。
私はそれに戸惑ったし、新しいゴールがどこにあるのか、探して探して、
とりあえず方向性のみを持っていたら歩けるのだと気づき、
途中でゴールを探しながらその方向に歩くという技を見につけたらしい。
今の疑問は、その歩き方でいいのだろうか?ということなんだと思う。
また新しいスタートがやってきて、
方向性は持っていても、ゴールはまだ見つからない。
佐伯さんも、山名さんも、この「方向性」が大事なのだと言ってくださる。
言ってくださっている気がする。
それで本当にいいのだろうか?
自分は手にするものだけ手にして、持ち逃げをして生きてはいないだろうか。
自分はここに置かれ、何を期待されているのかと思う。
別に何の能力も持っていないことは相手はわかってる。
私は何も生み出していないし、何も生み出すことはできない。
それは、今も今までもそれほど変わらない。
どんなことも言うだけで行動には移さない。
いつも私は、スタートとゴールを取り違えていて、スタート地点に立って戸惑うのだ。
大学もそうだった。
あの場所はゴールじゃなかった。
私はそれに戸惑ったし、新しいゴールがどこにあるのか、探して探して、
とりあえず方向性のみを持っていたら歩けるのだと気づき、
途中でゴールを探しながらその方向に歩くという技を見につけたらしい。
今の疑問は、その歩き方でいいのだろうか?ということなんだと思う。
また新しいスタートがやってきて、
方向性は持っていても、ゴールはまだ見つからない。
佐伯さんも、山名さんも、この「方向性」が大事なのだと言ってくださる。
言ってくださっている気がする。
それで本当にいいのだろうか?
自分は手にするものだけ手にして、持ち逃げをして生きてはいないだろうか。
2009年5月10日日曜日
大事な手紙①
送り主の方を特定する部分は抜いてあります。
今までに頂いた中で、自分にとって本当に大事な手紙のひとつです。
荒川さま
こんにちは。お久しぶりです。ご連絡ありがとうございます。
自分の修士課程とはなんだったんだろうと、荒川さんが思うように、
私も、たびたび、自分はいったい何やってんだろうと思うことがありますから。
クリエイターなどで、「自分の好きなこと」をやっているから、
他人は関係ないと胸を張って言える人はいますが、私はそうではありません。
やはり、社会というものとの関係性を意識します。
社会の評価が気になるのではなく、自分の働きかけが社会とどうつながっているのかが、
やはり大事なのです。
だから、社会が自分のイメージするところとはまったく別の原理で動いているとしか
思えないような時は、やるせなくなりますし、落胆もしますし、
いったい自分は何をやっているんだろうとも思います。
「裸になれる個人」と向き合う時はいいのですが、「組織の殻」を捨てられない人と接する時には、
ほとんどのケースにおいて、無力感を感じます。
今の日本社会は、「裸の個人」の原理ではなく、「組織の殻」にくるまれて生きることが
当たり前になっていて、それは動かしがたいものがありますから。
何かと「組織」の方が優位な社会において、それを突き崩したいなどと考えるのは、
どうにも無謀なんでしょうね。
社会を斜めに見ながら、わが道を行くという境地には、なかなか至れません(笑)。
たぶん、社会と自分の中間地点でさまようことが、自分の宿命のような気がします。
どちらか一方に軸足を移して染まるのではなく、その中間地点にとどまるというのが、
一番中途半端です。
中途半端な位置を一つの固有性の域にするのには、相当な力技が必要ですが、
まだまだ力及ばずです。
私は、昔、恩師である作家の日野啓三さんに言われたことが、心の拠り所です。
「きみは、珍しい人間だ。細部と大局と現実バランスの間にいる。」と。
細部というのは、職人さんとか詩人とかの世界です。
大局というのは、ジャーナリズム的な視点です。
この二つのうち一つとか二つを持っている人は、けっこういるそうです。
この二つとは別に、現実バランスというものがあって、私にそれがあるとすれば、
その理由は、私が「経営」すなわち「会社運営」や「人を育てること」をやっているからだろうと、
日野さんは、言いました。
この三つ目の要素だけで突っ走れば、ビジネスマンとしてがんがんにやるのでしょうが、
最初の二つがあるものだから、それに徹しきれず、
日野さんは、そういうことを預言していたのか、もしくは、そうなるように導いたのでしょう。
なぜこういうことを話すかというと、荒川さんにも、同じようなものを感じるからです。
細部と大局と現実バランス。
社会は、この三つが、ばらばらで機能しています。
それぞれの専門が、それぞれを担当するという状態です。
なぜそうなるかというと、その方が簡単だからです。
その結果として、その三つは、まったく別ものとして分断されている。
三つを統合した状態になっていくことが大事だと私は思っているのですが、
そのためには、そういう新しいタイプの枠組みが、どんどんできていかなければなりませんが、
前例があまりないので難しいのです。
荒川さんのように、思考と感性の方向性として、この三つのベクトルを持っている人が、安易に、
既存世界の「分断」の一箇所(作家になりたいから、作家になりました、という類もその一つであって、
そういう類の作家は、文壇世界のなかだけの存在になる)に染まらず、手探りしながら、
固有の型を作り出していくことを期待しています。
今までに頂いた中で、自分にとって本当に大事な手紙のひとつです。
荒川さま
こんにちは。お久しぶりです。ご連絡ありがとうございます。
自分の修士課程とはなんだったんだろうと、荒川さんが思うように、
私も、たびたび、自分はいったい何やってんだろうと思うことがありますから。
クリエイターなどで、「自分の好きなこと」をやっているから、
他人は関係ないと胸を張って言える人はいますが、私はそうではありません。
やはり、社会というものとの関係性を意識します。
社会の評価が気になるのではなく、自分の働きかけが社会とどうつながっているのかが、
やはり大事なのです。
だから、社会が自分のイメージするところとはまったく別の原理で動いているとしか
思えないような時は、やるせなくなりますし、落胆もしますし、
いったい自分は何をやっているんだろうとも思います。
「裸になれる個人」と向き合う時はいいのですが、「組織の殻」を捨てられない人と接する時には、
ほとんどのケースにおいて、無力感を感じます。
今の日本社会は、「裸の個人」の原理ではなく、「組織の殻」にくるまれて生きることが
当たり前になっていて、それは動かしがたいものがありますから。
何かと「組織」の方が優位な社会において、それを突き崩したいなどと考えるのは、
どうにも無謀なんでしょうね。
社会を斜めに見ながら、わが道を行くという境地には、なかなか至れません(笑)。
たぶん、社会と自分の中間地点でさまようことが、自分の宿命のような気がします。
どちらか一方に軸足を移して染まるのではなく、その中間地点にとどまるというのが、
一番中途半端です。
中途半端な位置を一つの固有性の域にするのには、相当な力技が必要ですが、
まだまだ力及ばずです。
私は、昔、恩師である作家の日野啓三さんに言われたことが、心の拠り所です。
「きみは、珍しい人間だ。細部と大局と現実バランスの間にいる。」と。
細部というのは、職人さんとか詩人とかの世界です。
大局というのは、ジャーナリズム的な視点です。
この二つのうち一つとか二つを持っている人は、けっこういるそうです。
この二つとは別に、現実バランスというものがあって、私にそれがあるとすれば、
その理由は、私が「経営」すなわち「会社運営」や「人を育てること」をやっているからだろうと、
日野さんは、言いました。
この三つ目の要素だけで突っ走れば、ビジネスマンとしてがんがんにやるのでしょうが、
最初の二つがあるものだから、それに徹しきれず、
日野さんは、そういうことを預言していたのか、もしくは、そうなるように導いたのでしょう。
なぜこういうことを話すかというと、荒川さんにも、同じようなものを感じるからです。
細部と大局と現実バランス。
社会は、この三つが、ばらばらで機能しています。
それぞれの専門が、それぞれを担当するという状態です。
なぜそうなるかというと、その方が簡単だからです。
その結果として、その三つは、まったく別ものとして分断されている。
三つを統合した状態になっていくことが大事だと私は思っているのですが、
そのためには、そういう新しいタイプの枠組みが、どんどんできていかなければなりませんが、
前例があまりないので難しいのです。
荒川さんのように、思考と感性の方向性として、この三つのベクトルを持っている人が、安易に、
既存世界の「分断」の一箇所(作家になりたいから、作家になりました、という類もその一つであって、
そういう類の作家は、文壇世界のなかだけの存在になる)に染まらず、手探りしながら、
固有の型を作り出していくことを期待しています。
2009年5月8日金曜日
2009年4月29日水曜日
何が重視されるんだろう
いつも思い出すのは
なぜ私は一人で暮らすのをやめたのかということである
そしてなぜ、この家に住んでいるかということである
それは、一人ですんでいたらもったいないことがたくさんあるため
二人、三人で住むほうが無駄がなくてよいと思ったから
今までの何倍も、電気代を使う気は最初は無かった
今までの何倍も、もったいないと思う気は最初は無かった
家族以外の人と一緒に住むというのは、家族と住んでいる以上に
相手のことを思いやらないとうまくいかないと思っていた
家族と住んでいるときよりも
きちんと生きなければと思っていた
暮らすことにおける、自分の役割を怠けてはいけないと思っていた
でもそうではないとしたら?
この家では、考え方が重視され、
どれだけ新しい理論が提案できるかが重視されるらしい
そういうことになっているらしい
そういうのをシェアというらしい
私は悔しいんだ
家族と同等にすら、一緒に暮らす人を思いやれない人が
なぜシェアハウスについて語るのだろうか、と
私は矛盾を感じずにはいられないんだ
Workshop的とかいうのは
別にシェアハウスなんかじゃなくていいんだ
たまに、家みたいなところでミーティングしたらいいじゃん
でもそう思うのは私だけらしい
そういうのはあまり関係ないらしい
ほんの少しのことなんだけれど。
別にそれほど大それたことをお願いしているわけではないんだけれど。
家で、家事が少しでも楽になるようにと母にやってあげること
以上のことはあまりお願いしてないんだけれど。
なぜ私は一人で暮らすのをやめたのかということである
そしてなぜ、この家に住んでいるかということである
それは、一人ですんでいたらもったいないことがたくさんあるため
二人、三人で住むほうが無駄がなくてよいと思ったから
今までの何倍も、電気代を使う気は最初は無かった
今までの何倍も、もったいないと思う気は最初は無かった
家族以外の人と一緒に住むというのは、家族と住んでいる以上に
相手のことを思いやらないとうまくいかないと思っていた
家族と住んでいるときよりも
きちんと生きなければと思っていた
暮らすことにおける、自分の役割を怠けてはいけないと思っていた
でもそうではないとしたら?
この家では、考え方が重視され、
どれだけ新しい理論が提案できるかが重視されるらしい
そういうことになっているらしい
そういうのをシェアというらしい
私は悔しいんだ
家族と同等にすら、一緒に暮らす人を思いやれない人が
なぜシェアハウスについて語るのだろうか、と
私は矛盾を感じずにはいられないんだ
Workshop的とかいうのは
別にシェアハウスなんかじゃなくていいんだ
たまに、家みたいなところでミーティングしたらいいじゃん
でもそう思うのは私だけらしい
そういうのはあまり関係ないらしい
ほんの少しのことなんだけれど。
別にそれほど大それたことをお願いしているわけではないんだけれど。
家で、家事が少しでも楽になるようにと母にやってあげること
以上のことはあまりお願いしてないんだけれど。
粗大ゴミの感じ
粗大ゴミの感じ
休日に粗大ゴミ回収屋さんが
アナウンスしながら家の前を通る
どうやら物を受け取ってさらにお金ももらえるサービスがあるらしい
それが粗大ごみ収集である
粗大ゴミこそ
昔は結構高価なものできらきらしていて
すごく便利だったんだけれど
それは永遠には続かないらしい
安くなって
あるときゼロになって
そしてあるときからお金を払わないと持っていってもらえなくなる
多くの商品とかいうものは大体上のようになっている
でもあるときからお金を払わないと持っていってもらえなくなる、
自分の目の前から消えてくれなくなるのだ
そういう感じに限りなく近いのかもしれない
粗大ゴミな感じ
休日に粗大ゴミ回収屋さんが
アナウンスしながら家の前を通る
どうやら物を受け取ってさらにお金ももらえるサービスがあるらしい
それが粗大ごみ収集である
粗大ゴミこそ
昔は結構高価なものできらきらしていて
すごく便利だったんだけれど
それは永遠には続かないらしい
安くなって
あるときゼロになって
そしてあるときからお金を払わないと持っていってもらえなくなる
多くの商品とかいうものは大体上のようになっている
でもあるときからお金を払わないと持っていってもらえなくなる、
自分の目の前から消えてくれなくなるのだ
そういう感じに限りなく近いのかもしれない
粗大ゴミな感じ
2009年4月27日月曜日
疎外感について
疎外:哲学、経済学の用語としては、人間が作ったもの(商品・貨幣・制度など)が人間自身から離れ、逆に人間を支配するような疎遠な力として現れること。またそれによって、人間があるべき自己の本質を失う状態をいう。
(wikipediaより)
そうなのか。
疎外感という言葉があるけれど、ではそれは
「人間が作ったものが人間自身から離れ、逆に人間を支配するような疎遠な力として現れ、人間があるべき自己の本質を失ったと感じている状態」
なのか。
疎外感とGoogleで検索したら、
「疎外感でいっぱいです」
という26歳派遣社員の女性の相談が載ったサイトがトップに来た
私たちは私たちの創り出した何によって疎外されているんだろう。
概要:
ラテン語のalienato(他人のものにする)に由来する疎外概念は、経済、社会、歴史的には、客体として存在するようになったものを操作する力を主体が失っている状態のことを指す。たとえば、あるものが私とは無関係であるという場合、そのあるものに対して私は無力なものとして疎外されていることになる。この疎外を克服することによって、人間はその本来の自己を取り戻し、その可能性を自己実現できるものとされる。
(wikipediaより)
あるものが私とは無関係であるという場合、
そのものにたいして私は無力なものとして疎外されている。
社会が私とは無関係であるという場合、
社会に対して私は無力なものとして疎外されている。
同僚が私とは無関係であるという場合、
同僚に対して私は無力なものとして疎外されている。
企業が私とは無関係であるという場合、
企業に対して私は無力なものとして疎外されている。
あーそういうことか…納得。
客体として私が認知した時点で、それは私とは無関係ではないはずなのだ。
それにも関わらず、私は無関係であり、無力である。
それを私たちは疎外感と呼んでいるらしい。
(wikipediaより)
そうなのか。
疎外感という言葉があるけれど、ではそれは
「人間が作ったものが人間自身から離れ、逆に人間を支配するような疎遠な力として現れ、人間があるべき自己の本質を失ったと感じている状態」
なのか。
疎外感とGoogleで検索したら、
「疎外感でいっぱいです」
という26歳派遣社員の女性の相談が載ったサイトがトップに来た
私たちは私たちの創り出した何によって疎外されているんだろう。
概要:
ラテン語のalienato(他人のものにする)に由来する疎外概念は、経済、社会、歴史的には、客体として存在するようになったものを操作する力を主体が失っている状態のことを指す。たとえば、あるものが私とは無関係であるという場合、そのあるものに対して私は無力なものとして疎外されていることになる。この疎外を克服することによって、人間はその本来の自己を取り戻し、その可能性を自己実現できるものとされる。
(wikipediaより)
あるものが私とは無関係であるという場合、
そのものにたいして私は無力なものとして疎外されている。
社会が私とは無関係であるという場合、
社会に対して私は無力なものとして疎外されている。
同僚が私とは無関係であるという場合、
同僚に対して私は無力なものとして疎外されている。
企業が私とは無関係であるという場合、
企業に対して私は無力なものとして疎外されている。
あーそういうことか…納得。
客体として私が認知した時点で、それは私とは無関係ではないはずなのだ。
それにも関わらず、私は無関係であり、無力である。
それを私たちは疎外感と呼んでいるらしい。
2009年3月9日月曜日
休学して、世界を見てきます。
…今日一日でこの宣言を2人の後輩から聞きました。
あーうらやましい。
なんという素敵な決断だろう。
ちょっとだけ、時間を戻せるなら、私も同じ宣言をしたいなぁと。
でも世界は広くて、世界中に素敵な人たちが居て、
そこらじゅうで私の思いのよらないような努力をしている
そこらじゅうで私の思いのよらないような希望を持ってる
そういうことを身をもって知ることができた、
学生時代を送れた私は本当に恵まれているのだと思う。
この上に胡坐をかかないようにするにはどうしたらいいのか、
ずっと足りない頭で考えてきたけれど、
卒業でこれが終わりじゃなくて
むしろ始まりなんだ、きっと。
これからますます、とはいっても
自身は決定的にこれから何か進化するわけでもないから
またこの足りない頭と付き合いながらそういうことを考え続けたいと思います。
うん。
要は私は6年大学に居て、(私にとっては)世界一周以上の体験をさせていただいたと。
恐縮するくらい大学に感謝して、卒業できる気がします。
(なんか途中で内容の趣旨が変わった気がする)
あーうらやましい。
なんという素敵な決断だろう。
ちょっとだけ、時間を戻せるなら、私も同じ宣言をしたいなぁと。
でも世界は広くて、世界中に素敵な人たちが居て、
そこらじゅうで私の思いのよらないような努力をしている
そこらじゅうで私の思いのよらないような希望を持ってる
そういうことを身をもって知ることができた、
学生時代を送れた私は本当に恵まれているのだと思う。
この上に胡坐をかかないようにするにはどうしたらいいのか、
ずっと足りない頭で考えてきたけれど、
卒業でこれが終わりじゃなくて
むしろ始まりなんだ、きっと。
これからますます、とはいっても
自身は決定的にこれから何か進化するわけでもないから
またこの足りない頭と付き合いながらそういうことを考え続けたいと思います。
うん。
要は私は6年大学に居て、(私にとっては)世界一周以上の体験をさせていただいたと。
恐縮するくらい大学に感謝して、卒業できる気がします。
(なんか途中で内容の趣旨が変わった気がする)
2009年3月4日水曜日
ことばにできない
多くのことが言葉にできない
ロンドンで見た町並みの美しさも、
建築物の荘厳さも、
大英博物館にある圧倒的な数の美術品も、
毎日曇っていた中で唯一晴れた日の空も、
見たことをうまく言葉にできない
パリの立ち並ぶカフェの素敵さも、
ルーブル美術館の絵画の数々も、
待ち行く人がタバコの火を交換する姿も、
うまく言葉にならない
何か
書き留めておきたいと思って持ってきたノートは白いまま
でもそれでもいいのかな、
自分があまりに多くのことを
すごく感動していても
言葉にできないということに気づけただけでも
私にとって
喜びとか感動は
苦しみや悲しみや絶望より
うまく言葉にできないのかもしれない
このことに、ずっと気づいていたつもりだったけれど
あまり言葉にしたことはなかったなぁ
それだけでも
私にとってはよかったのかもしれない
ロンドンで見た町並みの美しさも、
建築物の荘厳さも、
大英博物館にある圧倒的な数の美術品も、
毎日曇っていた中で唯一晴れた日の空も、
見たことをうまく言葉にできない
パリの立ち並ぶカフェの素敵さも、
ルーブル美術館の絵画の数々も、
待ち行く人がタバコの火を交換する姿も、
うまく言葉にならない
何か
書き留めておきたいと思って持ってきたノートは白いまま
でもそれでもいいのかな、
自分があまりに多くのことを
すごく感動していても
言葉にできないということに気づけただけでも
私にとって
喜びとか感動は
苦しみや悲しみや絶望より
うまく言葉にできないのかもしれない
このことに、ずっと気づいていたつもりだったけれど
あまり言葉にしたことはなかったなぁ
それだけでも
私にとってはよかったのかもしれない
2009年2月4日水曜日
うまくいかないときは、
昨夜は、先輩と六本木で飲んできました。
尊敬する先輩とサシ飲み!
贅沢な、そしてあまりに楽しい時間でした。
「うまくいかないときは、
自分が能力がないとか、ダメだという方向に考えてはいけない。
うまくいかないときは、
周りの人に助けてもらえない、そういう状態になってしまったという意味で
自分を反省するべきだ」
成功も、そして失敗も、
すべてが自分の能力の結果だなんて思うな。
そう、私はそれが身にしみてわかっているはずだったんですが、
こうして改めて聞くとそうだなぁと。
修論も、大学院も、大学も、そして私の人生はずっと、
そうやって生きてきた、
そしてこれからも、そうやって生きていくのだと、
「そうであるうえでは、社会人も学生も関係ない」
今という時期に先輩とお酒が飲めて本当に幸せでした。
ありがとうございました。
尊敬する先輩とサシ飲み!
贅沢な、そしてあまりに楽しい時間でした。
「うまくいかないときは、
自分が能力がないとか、ダメだという方向に考えてはいけない。
うまくいかないときは、
周りの人に助けてもらえない、そういう状態になってしまったという意味で
自分を反省するべきだ」
成功も、そして失敗も、
すべてが自分の能力の結果だなんて思うな。
そう、私はそれが身にしみてわかっているはずだったんですが、
こうして改めて聞くとそうだなぁと。
修論も、大学院も、大学も、そして私の人生はずっと、
そうやって生きてきた、
そしてこれからも、そうやって生きていくのだと、
「そうであるうえでは、社会人も学生も関係ない」
今という時期に先輩とお酒が飲めて本当に幸せでした。
ありがとうございました。
2009年2月2日月曜日
格差自体が問題なんじゃなく
「格差程度で個人が押しつぶされるような
薄っぺらい社会が問題なんだ」
昨日のシンポジウム
(http://www.katariba.net/otokata/special/ )
で、私の中にもっとも強く残った言葉でした。
BY 宮台真司さん
そうなんだと思う。
で、格差を「問題」として語るとき、なんというか、
私はその「格差」によって苦しめられている人の気持ちが
本当はわからない、
と思っていて、それに引け目みたいなものを感じていた。
そしたら偶然?にも今読んでいる本がその感情をしっかりと
解説してくださり、
今朝は、答えは見えないけれど
(昨日の話にもありましたがそんなに簡単に答えが出たらもう既に解決しているだろう)
それは
「被迫害者は当該社会における『神の視点』を先取しうる」
という「前提」がどこかにあって、
それに私も染まっているという自覚を持てた。
いや、前進はできてないかもしれないけれど、
自分の周りの風景を冷静に見ることができただけでも
すごく得るものが大きかったです。
ちなみに今読んでいる本は
内田樹さんの「こんな日本でよかったね」です。。
薄っぺらい社会が問題なんだ」
昨日のシンポジウム
(http://
で、私の中にもっとも強く残った言葉でした。
BY 宮台真司さん
そうなんだと思う。
で、格差を「問題」として語るとき、なんというか、
私はその「格差」によって苦しめられている人の気持ちが
本当はわからない、
と思っていて、それに引け目みたいなものを感じていた。
そしたら偶然?にも今読んでいる本がその感情をしっかりと
解説してくださり、
今朝は、答えは見えないけれど
(昨日の話にもありましたがそんなに簡単に答えが出たらもう既に解決しているだろう)
それは
「被迫害者は当該社会における『神の視点』を先取しうる」
という「前提」がどこかにあって、
それに私も染まっているという自覚を持てた。
いや、前進はできてないかもしれないけれど、
自分の周りの風景を冷静に見ることができただけでも
すごく得るものが大きかったです。
ちなみに今読んでいる本は
内田樹さんの「こんな日本でよかったね」です。。
2009年2月1日日曜日
すごく幸せなこと
昨日、
農学部時代からの友達が6人もうちに来てくれて
おいしい鍋とワインを囲みながら
あーなんか幸せだなぁと
思いました
農学部で、みんなに出会った頃に
みんなで、大学院を卒業する頃に
自分がこういう家(人を呼べるサイズの家)に住んで、
こうして友達が来てくれて
一緒に鍋を囲んでいる、ということを
思えばすごく幸せな未来として
描いていたような気がする
そこに自分がいることがすごく嬉しくて
大学院、死んでしまいたくなるようなことが山ほどあったし
こんなに基本的なものを肯定できない時間は久しぶりだったけれど
ここに来てすべてを清算できるような気分になれるなら
まだまだ全然大丈夫
…
この清算のスパンの大きいのは多分人生で
こんな幸せな清算を、人生の最後にできたらどんなに
安らかだろうと思う
そう思うと、死期をどうすごすかってすごく大事だなぁ
いや、当たり前のことなんですが
こういう実感があるとなんかしみじみそう感じるなぁと。
農学部時代からの友達が6人もうちに来てくれて
おいしい鍋とワインを囲みながら
あーなんか幸せだなぁと
思いました
農学部で、みんなに出会った頃に
みんなで、大学院を卒業する頃に
自分がこういう家(人を呼べるサイズの家)に住んで、
こうして友達が来てくれて
一緒に鍋を囲んでいる、ということを
思えばすごく幸せな未来として
描いていたような気がする
そこに自分がいることがすごく嬉しくて
大学院、死んでしまいたくなるようなことが山ほどあったし
こんなに基本的なものを肯定できない時間は久しぶりだったけれど
ここに来てすべてを清算できるような気分になれるなら
まだまだ全然大丈夫
…
この清算のスパンの大きいのは多分人生で
こんな幸せな清算を、人生の最後にできたらどんなに
安らかだろうと思う
そう思うと、死期をどうすごすかってすごく大事だなぁ
いや、当たり前のことなんですが
こういう実感があるとなんかしみじみそう感じるなぁと。
2009年1月21日水曜日
目隠し
ずっと暗闇の中を歩いていると思っていた
光はどこにあるんだろう
そしてちょっとでも光のようなものを見つけると
蛾みたいにそこにばたついて寄っていこうとした
近づきすぎると蛾みたいにばちっと音を立てて死んでしまいそうだったから
そこに近づきすぎない知恵くらいは持っていた
いや、知恵と呼ぶべきでもない、もっと防衛本能的なもの、のほうがきっと正しい
最近も闇は続いていて
なんか光が見えなくて
どうしちゃったんだろうと思ってた
光がない世界になってしまったと。
でも思ったんだ
私は闇の中を歩いていると思ってきたけれど
それは私が目隠しをしていたのかもしれないと。
昔は黒い黒いサングラスをかけていて
最近はそれを目隠しに変えてしまって
光がない、光が見えないと
これは本当の闇かもしれないと思っていた
…そうでもないのかもしれない
目隠しをとればきっとそこに光はあって
いや、意外とすごくきらきらした世界なのかもしれない
私はただ単にそれに向き合う力がないから
サングラスとか目隠しを使ってして 闇だ、闇だと
騒いでいただけなんだ
サングラスや目隠しがなくても
光を受けてもつぶれない目がほしいなぁ
光はどこにあるんだろう
そしてちょっとでも光のようなものを見つけると
蛾みたいにそこにばたついて寄っていこうとした
近づきすぎると蛾みたいにばちっと音を立てて死んでしまいそうだったから
そこに近づきすぎない知恵くらいは持っていた
いや、知恵と呼ぶべきでもない、もっと防衛本能的なもの、のほうがきっと正しい
最近も闇は続いていて
なんか光が見えなくて
どうしちゃったんだろうと思ってた
光がない世界になってしまったと。
でも思ったんだ
私は闇の中を歩いていると思ってきたけれど
それは私が目隠しをしていたのかもしれないと。
昔は黒い黒いサングラスをかけていて
最近はそれを目隠しに変えてしまって
光がない、光が見えないと
これは本当の闇かもしれないと思っていた
…そうでもないのかもしれない
目隠しをとればきっとそこに光はあって
いや、意外とすごくきらきらした世界なのかもしれない
私はただ単にそれに向き合う力がないから
サングラスとか目隠しを使ってして 闇だ、闇だと
騒いでいただけなんだ
サングラスや目隠しがなくても
光を受けてもつぶれない目がほしいなぁ
2009年1月20日火曜日
恨みも憎しみはすべて自分に向いている
だから楽な部分は大きい
人にこんな感情を向けたら人を殺しかねないと思う
だから全部自分に向ける
とはいえ私は自分がかわいいから
自分を殺すことができない
だからまだこんな風に生きちゃってる
でもだからこそ、
恨むべき憎しむべき対象を全部自分の中におく
そうすると人を傷つけないで済むから
そうすると嫌いになるのは自分だけで済むから
人にこんな感情を向けたら人を殺しかねないと思う
だから全部自分に向ける
とはいえ私は自分がかわいいから
自分を殺すことができない
だからまだこんな風に生きちゃってる
でもだからこそ、
恨むべき憎しむべき対象を全部自分の中におく
そうすると人を傷つけないで済むから
そうすると嫌いになるのは自分だけで済むから
どうせなら死んでしまえと言われたい
だから痛いのだ
あなたが冗談みたいに
軽蔑するように言う
今までのやり方は変える必要がある
厳しくやるから
(お前は甘すぎるんだ)
あんなやつと何かを共有していると思ってはいけない
(あんなやつに影響を受けると危ない)
それに比べて俺はこんなにできる
お前と違って先を描ける
こんなに素晴らしいモデルを出せる
そんなことをしていたら腐敗していく
(お前のせいでこんなに腐敗してしまった)
その基準で動けないやつは出て行くべきだと思う
(早く出て行け)
・・・・
私はいったい何をしてきたんだろう
そんなに私が無能だとわかっていたのなら
早く引きずり落として欲しかった
あーこんなときまで他力本願な自分に幻滅する
人を引き摺り下ろすのも楽じゃないんだ
今は軽蔑したり踏んづけたり
そういうことでこれからがよくなるのなら
そうして欲しい
そうして欲しい
そしてごめんなさい
私は穴があったら入りたいくらい恥ずかしい
恥ずかしい
そして早く消えてしまいたい
懺悔したい
誰かに生きていてもいいと言って欲しい
生きていても大丈夫だと言って欲しい
あなたが冗談みたいに
軽蔑するように言う
今までのやり方は変える必要がある
厳しくやるから
(お前は甘すぎるんだ)
あんなやつと何かを共有していると思ってはいけない
(あんなやつに影響を受けると危ない)
それに比べて俺はこんなにできる
お前と違って先を描ける
こんなに素晴らしいモデルを出せる
そんなことをしていたら腐敗していく
(お前のせいでこんなに腐敗してしまった)
その基準で動けないやつは出て行くべきだと思う
(早く出て行け)
・・・・
私はいったい何をしてきたんだろう
そんなに私が無能だとわかっていたのなら
早く引きずり落として欲しかった
あーこんなときまで他力本願な自分に幻滅する
人を引き摺り下ろすのも楽じゃないんだ
今は軽蔑したり踏んづけたり
そういうことでこれからがよくなるのなら
そうして欲しい
そうして欲しい
そしてごめんなさい
私は穴があったら入りたいくらい恥ずかしい
恥ずかしい
そして早く消えてしまいたい
懺悔したい
誰かに生きていてもいいと言って欲しい
生きていても大丈夫だと言って欲しい
2009年1月11日日曜日
憧れ、そしてドキドキ
またまた現実逃避以外のなにものでもなくMixi日記を書く
長女なので、
昔からお兄さんお姉さんに憧れる
どうやら私は理想のお兄ちゃんお姉ちゃん像みたいなものを勝手につくっていて
それに近い人を見つけるとドキドキしてしまうという
条件反射的にドキドキしてどうしたらいいかわからなくなる
という、性質を持っているようだ
恋愛とは違う。女性に対しても同様にドキドキするからだ。
割と不便なことが多いんだけど
でもこの感覚をなくしたくないなぁと思う。
憧れ、そしてドキドキするのは、
そういう人に囲まれて生きることは、
それほど幸せなことはきっとないから。
長女なので、
昔からお兄さんお姉さんに憧れる
どうやら私は理想のお兄ちゃんお姉ちゃん像みたいなものを勝手につくっていて
それに近い人を見つけるとドキドキしてしまうという
条件反射的にドキドキしてどうしたらいいかわからなくなる
という、性質を持っているようだ
恋愛とは違う。女性に対しても同様にドキドキするからだ。
割と不便なことが多いんだけど
でもこの感覚をなくしたくないなぁと思う。
憧れ、そしてドキドキするのは、
そういう人に囲まれて生きることは、
それほど幸せなことはきっとないから。
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