2009年5月10日日曜日

大事な手紙①

送り主の方を特定する部分は抜いてあります。
今までに頂いた中で、自分にとって本当に大事な手紙のひとつです。

荒川さま

こんにちは。お久しぶりです。ご連絡ありがとうございます。

自分の修士課程とはなんだったんだろうと、荒川さんが思うように、
私も、たびたび、自分はいったい何やってんだろうと思うことがありますから。

クリエイターなどで、「自分の好きなこと」をやっているから、
他人は関係ないと胸を張って言える人はいますが、私はそうではありません。
やはり、社会というものとの関係性を意識します。
社会の評価が気になるのではなく、自分の働きかけが社会とどうつながっているのかが、
やはり大事なのです。

だから、社会が自分のイメージするところとはまったく別の原理で動いているとしか
思えないような時は、やるせなくなりますし、落胆もしますし、
いったい自分は何をやっているんだろうとも思います。

「裸になれる個人」と向き合う時はいいのですが、「組織の殻」を捨てられない人と接する時には、
ほとんどのケースにおいて、無力感を感じます。
今の日本社会は、「裸の個人」の原理ではなく、「組織の殻」にくるまれて生きることが
当たり前になっていて、それは動かしがたいものがありますから。
何かと「組織」の方が優位な社会において、それを突き崩したいなどと考えるのは、
どうにも無謀なんでしょうね。
社会を斜めに見ながら、わが道を行くという境地には、なかなか至れません(笑)。
たぶん、社会と自分の中間地点でさまようことが、自分の宿命のような気がします。
どちらか一方に軸足を移して染まるのではなく、その中間地点にとどまるというのが、
一番中途半端です。
中途半端な位置を一つの固有性の域にするのには、相当な力技が必要ですが、
まだまだ力及ばずです。

私は、昔、恩師である作家の日野啓三さんに言われたことが、心の拠り所です。
「きみは、珍しい人間だ。細部と大局と現実バランスの間にいる。」と。
細部というのは、職人さんとか詩人とかの世界です。
大局というのは、ジャーナリズム的な視点です。
この二つのうち一つとか二つを持っている人は、けっこういるそうです。
この二つとは別に、現実バランスというものがあって、私にそれがあるとすれば、
その理由は、私が「経営」すなわち「会社運営」や「人を育てること」をやっているからだろうと、
日野さんは、言いました。
この三つ目の要素だけで突っ走れば、ビジネスマンとしてがんがんにやるのでしょうが、
最初の二つがあるものだから、それに徹しきれず、
日野さんは、そういうことを預言していたのか、もしくは、そうなるように導いたのでしょう。

なぜこういうことを話すかというと、荒川さんにも、同じようなものを感じるからです。
細部と大局と現実バランス。
社会は、この三つが、ばらばらで機能しています。
それぞれの専門が、それぞれを担当するという状態です。
なぜそうなるかというと、その方が簡単だからです。
その結果として、その三つは、まったく別ものとして分断されている。
三つを統合した状態になっていくことが大事だと私は思っているのですが、
そのためには、そういう新しいタイプの枠組みが、どんどんできていかなければなりませんが、
前例があまりないので難しいのです。
荒川さんのように、思考と感性の方向性として、この三つのベクトルを持っている人が、安易に、
既存世界の「分断」の一箇所(作家になりたいから、作家になりました、という類もその一つであって、
そういう類の作家は、文壇世界のなかだけの存在になる)に染まらず、手探りしながら、
固有の型を作り出していくことを期待しています。

2009年5月8日金曜日

第6AUへの配属。

配属が決まる。
第6AU配属。営業です。
何だろう?周りが言っていたほどがっかりはしていない。
私はこのことをずっと前からわかっていたような気もする。

営業として、私は何ができるんだろう。
いや、何がしたいんだろう。

SOCIMOサロンに足を運んだのも、
開墾ツアーに参加したのも、
もしかしたらこの縁をつなぐため…だったのかもしれない。

賛否両論あるようだけれど
私は勝間さんの「起きていることはすべて正しい」という本のタイトルが好きだ。
(まだ読んだことないけれど)
そう、その通り。起きていることはすべて正しい。