2009年6月21日日曜日

自分の身に降り掛かる事の多くは、

自分の身に降り掛かる事の多くは、
環境、つまり自分の外にその原因を求める。
しかしそれが他人の(自分でない)場合は、その人の内面に原因があると考える。

どちらが正解という事はない。
なぜなら一つの事象が自身か環境かどちらかが原因となっておこっているなどという事はほとんどないからである。

人間は恐るべき自己防衛本能を持っていて、ちゃんと自分を、身体も精神も、護るようにできている。

それが正常に働かないのが、精神の不調というやつなんだと思う。

私もなんだかんだいって自分を護っているし。
私自身が思っているほど、私は自己犠牲的ではないし、自分がかわいくて仕方ないんだ。
…そんな自分は吐き気がするほど好きじゃないけど、でもそういうとこまで含めると、きっと自分が大好きなんだ。

2009年6月19日金曜日

『サガン』寂しさと対峙した人

『サガン』 
http://www.sagan-movie.com/ 

実存の人物「フランソワーズ・サガン」の人生を描いた作品。 
フランソワーズ・サガン 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%82%AC%E3%83%B3 

フランソワーズ・サガンという18歳でデビューし、 
華々しくときに波瀾万丈な人生を送ったフランスの作家の生涯を描いた物語。 
私は、なんだかじわじわ辛い映画だと感じました。 

確かに彼女は天才で、 
そういう意味では自分と重ね合わせるなんてできないし、 
共感というものまでももたないのだけれど、 
人間はなぜこんなに寂しいと感じながら生きていくのか、 
と思いました。 

誰もが基本的には独りなんだと思います。 

でもやっぱりみんな独りでは生きていけない、 
独りは辛いけれども、 
でもその事実に縛られすぎるとそれに増して辛い気がします。 

サガンはそんな辛さを一身に背負ってしまったように見えました。 

2009年6月16日火曜日

私、社会人なんだ。

入社してから早くも2ヵ月半。 
長かったような、短かったような、 
でもオフィスでの生活もだいぶ慣れてきたし、 
いろいろほかの事を考える余裕も出てきた気がします。 

ふと、 
「私、社会人なんだ」 
と思う瞬間が最近何回かありました。 

幸いにも私の配属された局は、 
世間でいわれるような広告会社の雰囲気はそれほど強くなく、 
平和な毎日を過ごしています。 

自分のやりたいといってきた仕事ができるところに 
まさかの初任配属を頂いて 
(よくある話だし当然のことですが) 
とはいえ、ここはゴールではなくスタートだったと気づき、 
あんなにやりたいと言っていたのに 
いざ、手も足も出ず、大事なところで失敗するし、 
自分にうんざりする毎日が続いています。 

でもトレーナー含め周りの人に恵まれて 
毎日書く日誌に、丁寧に返してくださるメールを見ていて 
嬉しくて泣きそうになっています。 
いくら仕事の一部でも、自分の仕事ぶりの話とか、 
精神的な部分とか、そういうところをちゃんと見ていてくれて 
文字にしてくれる人と会ったのはきっと小学校ぶりで、 
(小学校の頃の日記に返してくれる先生のコメントは、 
いつも無難だなぁと思っていたけど) 
きっとこれも社会人一年目の特権なのだと、 
有難く噛み締めています。 

さて。 
今日もよい一日になりますように。

2009年6月6日土曜日

『愛を読むひと』

ベストセラー『朗読者』の映画化。
…まだこちらは読んでいないのですが。

この映画、ストーリーにも、設定にも、様々なメッセージが含まれている(…気がする)。

15歳のマイケルが、自分を道で助けてくれた年上の女性ハンナに恋をして(この辺りの設定から随分思い切った感じではあるのですが)彼女の家に通うようになる。
ここで授業中、マイケルがハンナのことを思い出すという回想シーンがあるのですが、これがすごいリアルというか、誰しもが体験することなんじゃないかな〜と。
ここの描写がすごい印象的でした。個人的に。
「中二病」なんていう表現も聞きますが、この時期って少しでも自分が周りと違うということに対してすごく優越感とか劣等感を感じる時期ですよね。15歳。

この感性の最も研ぎすまされてる時期に、年上の人と恋をする人ってすごく刺激的なんだと思う。やっぱりマイケルはハンナとのことを忘れられない、という描写があるんだけれど、映画を見ている最中はいやーとはいえ、そんなことは早々ないだろう、みんな思い出は更新していくものだし、と思っていました。そうじゃないとみんなつらいんじゃないかと。
よく母親が「人間は選択的に忘れるという能力を持っているから生きていける」と言っていました。「つらいことをいつまでも忘れられないと辛くて生きていけないよ」と。
だから辛いことも、幸せなことも、忘れるかどうかはきっとその人の(意識的か無意識的か)「選択」であって、人は多くの場合そのほうが楽だからという理由で「忘れる」ほうを選んでいる。
でもそうじゃない選択もあっていいのでは、と思いました。辛くても、先が見えなくても、社会的に難しくても、好きで忘れられないのならその気持ちを表現する方法を求めればいい。そんな姿を、この映画の中に見せてもらいました。

社会背景としては、1960年ごろのドイツ。(なぜかみんな英語を話していますが。)「アウシュビッツの看守に対する裁判」が出てきます。「正しさ」とは時代を通して変わっていくのだと、改めて思いました。時代には時代の正しさがあります。そしてその社会的な「正しさ」と別に、人にはその人の「正しさ」がある。
3月くらいにも、ユダヤ人虐殺をテーマにした映画を観ました。http://www.movies.co.jp/pyjamas/
最後が悲しすぎて、飛行機の機内で泣いてしまいました。

2009年6月3日水曜日

人を呪わば穴二つ

人を呪わば穴二つ

という言葉の、なんとなく意味はわかるけれど 何の穴なのか?
と思って 何気なく調べてみた

【人を呪わば穴二つ】
意味: 人を呪うにはそれなりの覚悟が必要だという事。
転じて、安易に他人を恨むことを戒める。
由来: 平安期、加持祈祷を生業とした陰陽師は、
人を呪殺しようとするとき、 呪い返しに遭うことを覚悟し、
墓穴を自分の分も含め二つ用意させたことに由来。

…なるほど。 これってこの由来がわからないと なんか
「人の陰口を言ってはいけません」 「人を恨んではいけません」みたいな
きれいな概念の言い換えになっちゃいますね
(って私がそう思うだけかもですが)

呪い返しに遭うことを覚悟して
人を呪い殺すことを職業とするなんて
私には想像を絶するけど でもそういうことが仕事になるくらい
人が人を恨むということが起こったんだ

人間って怖いなぁ
多分この世で一番怖いのは
幽霊でも地震でも原爆でも金融危機でもなく
人間であると思う
(もちろん私も含めて)

もやもやと暮らす

もやもやと暮らす。

自分はここに置かれ、何を期待されているのかと思う。
別に何の能力も持っていないことは相手はわかってる。

私は何も生み出していないし、何も生み出すことはできない。
それは、今も今までもそれほど変わらない。

どんなことも言うだけで行動には移さない。

いつも私は、スタートとゴールを取り違えていて、スタート地点に立って戸惑うのだ。
大学もそうだった。
あの場所はゴールじゃなかった。
私はそれに戸惑ったし、新しいゴールがどこにあるのか、探して探して、
とりあえず方向性のみを持っていたら歩けるのだと気づき、
途中でゴールを探しながらその方向に歩くという技を見につけたらしい。

今の疑問は、その歩き方でいいのだろうか?ということなんだと思う。
また新しいスタートがやってきて、
方向性は持っていても、ゴールはまだ見つからない。

佐伯さんも、山名さんも、この「方向性」が大事なのだと言ってくださる。
言ってくださっている気がする。

それで本当にいいのだろうか?

自分は手にするものだけ手にして、持ち逃げをして生きてはいないだろうか。