あれは確か、卒論を書いていた頃に先輩(女性)が言ってた。
「女はね、28歳のときに転機を迎える人が多いのよ。
そんな統計は探しても無駄なことは知っているけど、
少なくとも私の周りでは、そういっている人が沢山居るんだもの。」
「転機」というのがプラスのことだけを指す言葉ではないことは、百も承知です。
でもそういうものが欲しくて、私はずっとそういうものが欲しくて。
暗いところから光を見る、そのときの快感を、人はなかなか忘れることが出来ないのだと思う。
本当は、暗いところに落ちていく不安な感じとか、底のほうの生き辛さとか、足に絡み付いてくる冷たいものとか、そういう「厄介なもの」と一緒に、いや、「厄介なもの」全てを受け入れた後で、やっと光はやってくるのに。
母曰く、「忘れる」という人間の生存に欠かせない能力をしっかりと行使して、
私は、暗いところでもう一度光を見たいと思っている私に気づく。
誕生日から早1ヶ月以上。
私の数え年28歳もこうして終わっていくのかな。
来年もそんなことを呟きながら、相変わらず「暗いところから光を見たい」とかいっているんでしょうか。
2010年8月1日日曜日
ごっこ遊び
「○○ごっこ」
という遊びは、ほとんどの人が経験するのだと思う。
お母さんごっこ。
お嫁さんごっこ。
お医者さんごっこ。
お花やさんごっこ。
幼い私はその人にはなれないのだけれど、
その人になりきって、
お料理してみたり、
お化粧してみたり、
聴診器を当ててみたり、
花束をつくってみたり…
私はごっこ遊び、結構好きでしたよ。
この前、先輩に私のやっていることは、
ごっこ遊びだと言われました。
最初は、彼が何を言いたいのか分からなかったけれど、多分、
私が幼いのだと批判したくて、
私が甘ったれていると批判したくて、
私が怠惰だと批判したかった
私は「その人になりきって、そのようなことをやってみている」だけだと批判したかった
いくら私は「そんなつもりなく」ても、
彼には「そのように見えた」んです。
そもそも実態はないものだから私が「そのつもりになればそう」かもしれないし、
先輩が「そう見えればそう」なんだと思う。
人はそれぞれ人生の文脈が違うんだ。
少なくとも、私の人生は、ある人にとっては「ごっこ遊び」に見えるのだと分かりました。
開きなおるわけではないけれど
私は、それも飲み込んで生きていくつもりですから。
ごっこ遊びだっていいじゃないですか。
それすら出来なくなる世界なんて
全然ワクワクしないし、想像力の欠片もないじゃないですか。
ミラーニューロン
ミラーニューロンというものがある。
自らがある行動をするときと、その行動を他の個体がしているのを見ているときと、
同じ脳の部分が活発になるらしい。
この人はミラーニューロンが活発だなと思う人がいる。
そう思う人が何人かいて、何故だろうと考えてみた。
彼ら彼女らの存在自体が、いろいろな意味で平均的ではないのだ。
人は周りと自分を見比べて2通りの苦しみ方をする。
一つは、人と同じことに対する苦悩。
もう一つは、人と違うことに対する苦悩。
おそらく、彼ら彼女らは、後者の苦悩を、普段少なからず持っている(のではないかと私は推測する)。
そうか。
彼ら彼女らにとって、日常でミラーニューロンを働かせることは、もしかしたらそういう苦悩を和らげる効果があるのかもしれない。
そういうところで、バランスをとっているのかも、知れない。
改めて、人間とは凄い生物だと思う。
本当だったとしても、どちらにしても、凄い生物だと思う。
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