とっても久々にブログを書く。
今年は、いろいろなことがあった。
何があったのかわからないくらい、たくさんのことがあった。
入れ替わったり、ひっくりかえったり、いなくなったり、現れたり、まよったり、決めたり。
悲しくなったり、辛くなったり、楽しくなったり、幸せになったり。
生きるというのはそういう、いろいろなことが起こることをいうんだ、と改めて思った。
それこそが生きているということなのだと。
「死が希薄になると、生も希薄になる…。」
生死が色濃くあるというのは、こういうことなんだ。
よしもとばななさんのブログを読む。
「ああ、生きているかぎり、丁寧に生きていこう。」という言葉が沁みる。
丁寧に生きるってどういうことだろう。
えがおの大学院、無事に卒業できそう。
よかった。今年の週末は随分北杜に通った。
…今だからこそ、これもそういうふうになる運命だったのかもしれない、と思う。
今年、週末もずっと東京にいたら、私はもっとダメになっていたかもしれない。
週末だけでも、東京の空気の外に出て、東京のことも仕事のこともしばし忘れて、様々な、素敵な、おもしろい人たちと2日間過ごす。
ああ、私、アースしてたんだ。
そうだったのかもしれない。最中にはなかなか気づかなかったけど。
そうして今年、なんとかここまで持ったのかも。
仕事からしばらく離れたい、そう言うとだいたいの人が、いいんじゃないと言ってくれる。
…私、そんなに疲れているように見えるのかしら。
それとも、そう思いながら働き続ける理由なんて無いのよ、とみんな感じているということなのかもしれない。
…みんなそう感じているけれど、振りかぶって歩く方向を変えることは、なかなかパワーの要ることなのかもしれなくて…
そういう意味では、私より彼らの方がよほど疲れているのかもしれない。
「かもしれない」の話。
そうこうしているうちに時は過ぎ、年末を迎える。流れで年始も来てしまう。
…今年のうちに、やっておくべきこと、会っておくべき人、
新しい年に持ち越すべきこと、そうではないこと、始めるべきこと、辞めるべきこと。
考えることはたくさんあるけれど、どこかで「まあ、何とかなる」と思っている。
これまで、そういう自分の雑さにうんざりしてきたのだけれど、今は何だかそう在ることで救われている気がする。
…少なくとも私自身は。
残り少ない2011年を、大事に過ごせますように。
生きているかぎり、丁寧に生きていけますように。
