2011年12月19日月曜日

とっても久々にブログを書く。

とっても久々にブログを書く。

今年は、いろいろなことがあった。

何があったのかわからないくらい、たくさんのことがあった。

入れ替わったり、ひっくりかえったり、いなくなったり、現れたり、まよったり、決めたり。

悲しくなったり、辛くなったり、楽しくなったり、幸せになったり。


生きるというのはそういう、いろいろなことが起こることをいうんだ、と改めて思った。

それこそが生きているということなのだと。

「死が希薄になると、生も希薄になる…。」

生死が色濃くあるというのは、こういうことなんだ。


よしもとばななさんのブログを読む。

「ああ、生きているかぎり、丁寧に生きていこう。」という言葉が沁みる。

丁寧に生きるってどういうことだろう。


えがおの大学院、無事に卒業できそう。

よかった。今年の週末は随分北杜に通った。

…今だからこそ、これもそういうふうになる運命だったのかもしれない、と思う。

今年、週末もずっと東京にいたら、私はもっとダメになっていたかもしれない。

週末だけでも、東京の空気の外に出て、東京のことも仕事のこともしばし忘れて、様々な、素敵な、おもしろい人たちと2日間過ごす。

ああ、私、アースしてたんだ。

そうだったのかもしれない。最中にはなかなか気づかなかったけど。

そうして今年、なんとかここまで持ったのかも。


仕事からしばらく離れたい、そう言うとだいたいの人が、いいんじゃないと言ってくれる。

…私、そんなに疲れているように見えるのかしら。

それとも、そう思いながら働き続ける理由なんて無いのよ、とみんな感じているということなのかもしれない。

…みんなそう感じているけれど、振りかぶって歩く方向を変えることは、なかなかパワーの要ることなのかもしれなくて…

そういう意味では、私より彼らの方がよほど疲れているのかもしれない。

「かもしれない」の話。


そうこうしているうちに時は過ぎ、年末を迎える。流れで年始も来てしまう。

…今年のうちに、やっておくべきこと、会っておくべき人、

新しい年に持ち越すべきこと、そうではないこと、始めるべきこと、辞めるべきこと。

考えることはたくさんあるけれど、どこかで「まあ、何とかなる」と思っている。

これまで、そういう自分の雑さにうんざりしてきたのだけれど、今は何だかそう在ることで救われている気がする。

…少なくとも私自身は。


残り少ない2011年を、大事に過ごせますように。

生きているかぎり、丁寧に生きていけますように。