2013年2月17日日曜日

「隣る人」

「隣る人」は誰?と聞かれて、
少し考えて「両親かな」と答えた
それはもちろん半分くらいは正しい

実は本当の答えは別にあったけれど
それはなんだか…自分が寂しい人間に聞こえるんじゃないかと思って
生身の人間のほうがいいんじゃないかと思って

私の隣る人は、私だ
苦しんでいたころの私
寂しかったころの私
すべてがここで終わってしまえばいいのにと思っていたころの私

私のこれまでの苦しみや寂しさや、ここで終わってしまえばいいのにと思っていた時間を
今の私が認めてあげる
それは、私の今の苦しみも寂しさも、ここで終わってしまえばいいのにという気持ちも
これから先の私がきっと認めてくれる、ということだから

だから大丈夫
大丈夫

私の隣る人は私だ
頑張る私
幸せな私
笑顔の私

そんな私があの時だけのものだとしても
あの私がいたことが「ほんとう」であり続ける限り
私は生きていける

だから大丈夫
きっと大丈夫

2013年2月14日木曜日

塩分の足りなくなったロバが岩塩の混じった土壁をなめるみたいに

…その孤独は自分を自分たらしめる必須栄養素みたいなもので、

それがないと息ができなくなるような思いもする。


…友達にはそういうことがないらしいということがうすうすわかってくると、
後ろめたさが起こってくるんです。


きっと、友達との世界だけで充足できないっていうことが申し訳なく思っているんでしょうね。


自分だけ鰓呼吸で生きているような、
隠すべき障碍のように思えて、このことはほとんど人に言ったことはありませんでした。


「考える人」 2012年秋号 新潮社
特集 歩く 時速4kmの思考
ロングインタビュー 梨木香歩 『まだ、そこまで行ったことのない場所へ』

2013年2月3日日曜日

ふたつ

例えばそこにふたつあったとして
どちらかが失われたとき、もうひとつも無くなってしまうのだとしたら
そこには本当にふたつあったのでしょうか

本当はひとつしかないものを
別の方向からみて
ふたつあると思っていただけじゃない?

本当はふたつもなかったのかも
ふたつあるなんて、嘘だったのかも