朝方に起きて、娘の寝顔を見ながら今年一年を振り返る。
今、私が居るのは、一年前には想像すらできなかった場所だ。
30年以上生きてきて、そんな場所…「想像すらできない場所」なんてものが、
地球の裏側に行かずしても、今、ここにあるのだということに驚く。
そして自分がその場所にいることに、改めてとても驚く。
今年は、たくさんのことが驚きだった。
前半は、一つの人間の身体に命が2つある、ということが
こんなに暖かいことなのだと驚いた。
人間は、本質的にはずっと独りで生きるのだと思ってきたけれど、
こんな例外があるのだ。
10か月間、この暖かさと共にあることで
出産も、夜中何度も起こされる授乳も、
首のすわらない身体を洗ったり拭いたりすることも、
乗り切れるようにできているのだと思った。
そして後半は、生まれたばかりの人間がこんなにもしっかりしているのかという
驚きの連続だった。
娘は私の勝手な期待以上にしっかりとした存在で
私のほうが励まされたり、背筋を正されることばかりだった。
それは今も続いているし、これからもそうやって続いていくのだと思う。
こんなにあっという間に、すくすくと成長する存在が近くにあって
焦り、を感じないわけはなく、
でもそれは飛び散っていく時間を両手で泣きながらかき集めるような焦りではなくて、
隣でゆっくりと確実に建てられていく家を見ながら、その仕事に感激しながら
既に建てあがった自分の家を、より住みやすく片づけたりリフォームしたりしなきゃ、
例えるならそんな焦りだ。
ずっと、小さく不格好で散らかっているこの家に目を覆ったり、
建て増しや移築を考えたり、壁にペンキを塗ってみたりしてきたけれど、
今は、これが私(の家)だ、と愛しく思える。
片付けもリフォームも必要だけど、これが今の私(の家)だ。
私は今、懐炉をつくっているのだと思う
一生ものの懐炉を
これから先、私が生き続ける間、携えていける懐炉を
一生ものの懐炉を
これから先、私が生き続ける間、携えていける懐炉を
懐炉は未完成であってほしい。
まだ、懐炉をつくる時間が続いてほしいと願う。
懐炉はそれを使って暖をとる必要がある時のためにつくられているのであり
それがやってくるのは懐炉をつくる意味にもつながる。
それでも、懐炉をつくる時間が続いて、自分だけでなく他の誰かまで
暖まることができる大きな懐炉をつくれたらと願うまでになった。
それは欲張りかもしれない。
人間はいくらでも贅沢になってしまうのかもしれない。
でも、それによって私にも、
他の誰かが暖を取れるようなものをつくることができるのなら
欲張りも贅沢も、悪くないんじゃないかと思う。
来年も、懐炉をつくりつづけることができますように。
一生ものの懐炉を
私のためだけでなく、ふたりぶんの、願わくばさんにんぶんの。
他の誰かが暖を取れるようなものをつくることができるのなら
欲張りも贅沢も、悪くないんじゃないかと思う。
来年も、懐炉をつくりつづけることができますように。
一生ものの懐炉を
私のためだけでなく、ふたりぶんの、願わくばさんにんぶんの。
