2018年1月3日水曜日

大切な手紙②

大切な手紙②

こんにちは。 

「私はそんなにたくさんのものを持っている人間ではないと思います。」 

”持っている”ということの意味を、現代人の多くは、「既に自分が明らかに所有していること」とみなしますね。 
 それは、”知識を持っている”という言い方をする時も同じです。 
 どちらも、「所有」じたいに価値を置いてしまっています。 
 「所有」が、ゴールになってしまっている。大事なのは、常に、これからの自分の「行動」なのだけれど、「所有」を重視してしまうと、新たに別の所有を目指すことを繰り返すだけになってしまう。だから、多くのインテリは、「知識」を所有したら、その次は、「名声」とか、「地位」とか、「権威」を所有したがるのです。学者と肩書きのある人の大半は、そうですね、 
 私の感覚では、”持っている”というのは、”志向性を持っている”ということになります。もしくは、”展望を持っている”です。 
 既に所有しているものを判断するのではなく、展望とか、志向性として、どういうものを持っているか、が大事ではないかと思います。単純に言えば、”どうなりたいか”とか。そういう明確なものがなければ、”あのようにはなりたくない”とか。 
 ”志向性”を持つというのは、ゴールがなく、連続運動です。その連続運動の結果として、たまたま膨大な知識が身に付いたりする。白川静さんは、95歳まで志向性で仕事をしていたから、途切れることもなく、頓挫することもなく、世俗に汚れることもなく、最後まで行き、結果として膨大な知を獲得していました。 
 ”資格”とか、”地位”とか、”お金”とか、”知識”とか、既に今所有しているかどうかを基本にするのではなく、展望とか志向性を持っているかどうかを大事にしたいですね。 
 荒川さんに限らないのですが、若い人は、”今既に所有している物”は、少なくて当たり前です。といって、大きな志とか展望がなければならないというわけでもないでしょう。 
 自分への眼差しだけでなく、社会への眼差しがあり、その両方の間で揺れ動いている人は、それが強いか弱いの違いはあるにしても、その二つの統合を心のなかで志向しているわけであり、”同じものを持っている”と私は判断します。 
 その統合を最初から諦めて、自分を平然と偽っている人も多くいますが、そこからは、新しい展望は生まれないと思います。社会と自分の二つの間で引き裂かれ、足掻いている人から、新しい生存の形が生まれ整えられるのではないでしょうか。 
 若い人に期待することは、簡単に諦めて、既存の枠組みに自分を強引に当て嵌めて欲しくないということです。 
 社会は甘くないことは事実ですが、「社会がそうだから仕方がない」という諦めの気持ちの方向性が数多く揃うことで、ますます、そういう社会が強化されてしまうのであって、社会がそうだけど他の道もあるかもしれないと足掻く人の数が少しずつ増えることで初めて、状況が変わっていくからです。